日時

桑名道場 10月2,23,24,25日 午前10時
東京教室 10月22日 午後12時30分 「市ヶ谷亀岡八幡宮」

参加費 桑名道場 10,000円
東京教室 10,000円

内容

○、「神道教学」・・神道学、伯家神道教学

○、「実 習」 息吹の傳、鎮魂呪法の傳、御手風の傳、ミタマフリ行法

○、「神事行法」・・神拝式の傳、身禊祓詞の傳、御祓神事の傳、神拝拍手の傳、一二三祝詞の傳、神座座法の傳、ハフリの傳、十種神宝の傳、 息吹の傳、大祓詞の傳、太祝詞の傳、言霊の傳、その他

○、参加者は白衣又は白系の相応しい服。白足袋又は白靴下。白扇子。火打石。筆記用具を持参。

○、 当会入会希望の人は「神道初学講座」を受講されてからの入会となります。「神道初学講座」は桑名道場のみで開催。
*、「日 程」 随時募集(日程調整)
*、「受講費」 10,000円
*、「場 所」 「楽古舎」桑名道場 桑名市太夫 
*、「内 容」 吹き送りの行。神道教学。実習。行法。
*、「持参品」 白衣又は白系の相応しい服。白足袋又は白靴下。白扇子。火打石。筆記用具。

○、参加されたい人はメール又は、電話にてご連絡下さい。「神道初学講座」の申し込みからお願いします。

○、「拝神拍手伝授の傳」・・行法がすすまれた人のみにお渡しする神事作法
*和学教授所神事長中村新子女史が伝承された和学教授所の教本に従って指導している道場。

○、和学教授所の流れを汲む当道場では、入会時は会員扱いとなり、古例に則り拍手降神を賜った人を門人として承認。承認された人は「拝神拍手伝授の傳」を伝授。

○、十種神寶行法、拍手降神四種拝受された人で、神道行法を後進指導に当たりたい人、道場開設されたい人へは「専門コース」を設置。新たに、上記講座と合わせて「古気道」「古医道」「霊学」(数霊学・言霊学・音霊学)受講。指導認可は拍手降神四種拝受された人のみ許可。

[楽古舎と伯家神道]
  朝廷の神祇官長である神祇官統領神祇伯王家白川家に祭祀継承されてきた「惟神道」は、51代資訓王が神祇奉還を奏上される明治4年の神祇官廃止まで約800年間継承されてきました。白川家最後の学頭職高浜清七郎源正一は白川家門外不出の古伝神事法を残さんとして、明治25年神道古伝和学教授所を創設。然し、その翌年に他界します。
  「楽古舎」の伯家神道は和学教授所の流れをくむものです。伯家神道は「かむながらの道」「お道」「ミスウチの行」「ハフリの行」「十種神寶行法」と言います。舎主が「祝殿の行法」を修行したのは昭和53年です。当時は今のように興味を持つ人もなく、伯家神道継承が途絶えかけている危惧状態でした。残っている人達は70歳代以上の人達ばかりで、このままでは伝承が途絶えると言われ大事に指導して頂きました。昭和15年の和学教授所の名簿には総監白川資永、神事長中村新子、代理安見晴子、相談役吉田茂、理事新宮幸勝の名前が出ていますが、私が指導を受けたのは安見晴子、新宮幸勝両氏からです。新宮宮司からは出身大学が同じで神職ということで、3種迄の拍手降神の「ミテブリ」を指導して頂き、「和学教授所」の指導と心得を教授頂きました。
  昭和9年、白峰神宮宮司石井鹿之助が宮内忠政から受け取られた「神傳奥儀」(天の巻・地の巻)の写しがありますが、そこには「息行」の事が書いてあります。「おみちの行」でも分かるように伯家神道では「息行」を大事にします。当時の和学教授所の教授科目は「甲、和傳教授科目」「乙、神事相傳科目」に分けられ、「神拝拍手の傳・太祝詞の傳・天津金木の傳・注連縄の傳…」40種ばかりが記載されています。
当道場では、伯家神道と共にそこから抜粋した息行から息吹呼吸法を、ミタマフリ行法から霊動法を指導しています。そこには言霊が働きます。祝詞は「宣りあげ、宣り倒す」、祓いには「祓い切る」と言う言葉の力がありますが、祝詞、祓いの言葉の力を失ったのが今の宗教ではないでしょうか。宮内忠政は今から100年前の人ですが、聖職者が祓い、清めを忘れると天変地変が起きる、起きても天神地祇を動かす力ができないと記載しています。まさしく言われる通りの世の中が来ています。今一度見直す言葉ではないでしょうか。伯家神道行法は言霊と音霊の働きによるものです。
  古代の呪法に「物部の鎮魂法」があります。それによると「十種の神宝を唱え、ふるべゆらゆら」と唱えれば死人も生き返るとあります。現代人ならば荒唐無稽として一蹴するでしょう。それか、古代人には出来たかもしれないと物議を醸し出します。我々、現代人は漢字に惑わされているところがあります。「鎮魂」を「ミタマフリ」「ミタマシズメ」と読むと、「ミ=タマ=フリ、=シズメ」となります。私の著書「古神道に生きる気」を呼んで頂いた方は、既にお分かり頂いていると思いますが、魂は「ミ=タマ」で「気」を表します。わが国独自の「氣」が、即ち「カミ」になります。わが国は神国なりとは、「氣」が満ち満ちて充足していることを表しています。それは「ハフリの行法」をやられた人は、それが充分お分かり頂けると思います。私も若かりし頃それに感激して、それからの神道観の見識が変わりました。
  魂は「氣」であり、「カミ」であることから、それをわが身の心中に納めることを「鎮魂」と言います。それは古代における医療でもあるわけです。まさしく死人を蘇らせていたのかも知れません。  「物部鎮魂呪法」は物部氏滅亡と共に埋没してしまいます。然し、その鎮魂法は「ハフリの行法」として継承されて来ていたのです。ニギハヤヒノ命が天皇にお渡しされた「十種の神宝」です。伯家神道で「十種の神宝行法」とも言って、神行の階級を十種に分けています。
  舎主は26歳より修行に入りましたが、顕幽両斎の幽斎であると共に、修業していくうちに古代医療、皇朝医道ではないかと確信していくのです。と言うよりは、それに繋げていったと言う方が正解かも知れません。現在になって伯家神道は色々と言われていますが、さて、何だと思われますか?その見解はその人の感ずる所、各々の持ち方で良いと思いますが、私は、その頃より神道を宗教としてではなく、古代医療としてみているのです。生活に必要ないものはいつの時代でも排斥されます。世界の宗教が存続した裏には医療と切り離すことはできません。伯家神道の行法は「ミタマフリ・ミタマシズメ」「息行」「祓い」です。それらは「ミアレ」の為の行法です。再生蘇生のカムナガラがここにあります。「ミタマフリ」に起きる霊動はハライ、ノリトの言霊の発揚です。ヤマト言葉のもつ言霊の妙用によって自発動させ、体内の気血の流れを促してくれます。これこそ「古医道」ではないでしょうか。
  修業の時は厳鉾の「鉾先の気」を見よと言われました。部屋を閉めて蝋燭を立てて祓いをあげ、言葉の振動で襖紙がバラバラと音を立てるまでやってきました。これから、習得しようとされる若い人にもやって頂きたいものです。
  裏話として、宮内忠政は気学九星、易学を行った形跡があります。「神傳奥儀」には一部記載されています。中村新子女史が戦前、戦況を診るのに襖を閉めて神占を行っていたのはそれでないかと思っています。又、戦況を占ったとされる白峰神宮での軒廊の占いは卜部の職掌です。伯家神道とは無関係です。そのことは白川資永氏も論述されておられます。
  昭和29年、日本全国の神職養成の為の第1回の鎮魂練成行法が石上神宮で行われています。神社本庁調査部長岡田米夫氏を挟んで石上神宮鎮魂行法代表として当時の青山宮司、森禰宜(のち宮司)、伯家神道の代表として中村新子、新宮宮司です。どちらを採用するか協議されます。その結果、石上神宮鎮魂行法が採用され、現在まで神道行法として採用されています。伯家神道は一般神職には受け取りにくいと判断されたのでしょう。石上神宮鎮魂行法は顕斎です。伯家神道は幽斎です。今でもそうですが、神社本庁とすれば幽斎には触れたくなかったのでしょう。石上神宮の森宮司と生前対談した時に、私にあの時に伯家神道を修業しておけばよかったと言われていました。伯家神道についての裏話は体験上尽きることがありません。まとめて本にしても、後学の人達の参考になると思います。
[舎主と伯家神道とのいきさつ]
  舎主永川は明治時代迄本姓江川氏。肥前島原藩儒学者と言われて来ている。島原藩出身に勤王家であり、後に外交官政治家となった丸山作楽翁がいる。平田派国学を平田鉄胤に学び、国事に奔走。明治2年、樺太出張の時にロシアの動静を見て、早くにもロシア南下対抗策を打ち出すも政府に却下される。明治15年立憲帝政党を結成して保守的政治家として国防論を唱える。その丸山作楽翁の書生として薫陶を受けたのが今泉定助翁である。その今泉定助翁から若かりし頃に指導を受け、皇国の教えに薫陶されたのが近江神宮2代宮司横井時常氏となる。その横井宮司の秘書として、横井神道なる戦前からの神道学を学んだのが舎主永川辰男となります。人とのつながりは不思議で面白いです。皇国の精神は脈々と流れています。横井宮司は、度毎に今泉翁のお蔭で今日の自分があることを言っておられました。横井宮司の神道の精神理念はこの時に培われたものなのでしょう。今泉翁との関わりで、川面流禊行法を今日に伝える川面凡児翁と親しく*知る事になります。大正9年晩秋、大正天皇ご平癒祈願の禊行法が神奈川県片瀬の浜で行われ、それに参加された事を話しておられました。
  今泉翁は川面凡児翁の実践的神道論に影響を受け、本居宣長以来の国文学神道論に実践的神道論を加えて「皇道」と呼び、昭和15年〈財〉皇道会を設立。神道は理論、机上論でなく実践にあると言う事から、当時の軍部の講習会で講演。今泉翁は、「大祓は行事であるのに、行事を捨てて文献たる祝詞のみを解釈している為に、大祓の真の精神はつかめない」と述べています。大祓の根本は神であり、神人合一が祓いの目的であるとしています。楽古舎で行っている呼吸法、古医道、霊動法、言霊学、年中行事等は伯家神道を修行する事より体得した実践的神道論にあります。
  横井宮司と和学教授所理事である長等神社の新宮宮司とは同級生です。大卒後、若かりし頃の横井宮司は今泉翁、川面翁の指導を受け、新宮宮司は中村新子に和学教授所で学ぶ事になります。近江神宮で伯家神道斎修会を開催するに当たりまして、先ず相談したのが新宮宮司、安見晴子女史です。その後も、長等神社へは10分も掛からない場所にあるので度々伺い修行致しました。その時に高浜浩氏も来られていました。高浜氏は伯家神道行法を良く存じておられないで、祓詞を唱える事もなく、新宮宮司のやる事を部屋の隅に座って行法を見ておられました。実際に当時は知らなかったようです。私がやらないのですかと尋ねると、高浜氏は叔母中村新子女史がやっているのを見ているだけで今は忘れてしまいましたと言われていました。                                     新宮宮司はお行を行っていても、80歳まではしっかりして動き回っておられましたが、晩年は足もおぼつかなくなり、目を患われ識別すら出来ない状態で、それに老人性痴呆が入ってきていました。早くにも習っていた私には、和学教授所の系統が途絶えると言われ、それは熱心に特別に教えて頂きました。同じく門人の人達と言っても皆75歳以上です。当時、神社界にも声かけしましたが誰もする人がいないので、その分色々と細かに丁寧に教えて抱きました。新宮宮司の元でやるようになったのも、和学教授所を破門された人の別系統ではなく、将来の為にも正当な和学教授所の流れを踏み継承して行きなさいと新宮宮司に温かいお言葉を頂き、秘伝伝授の拍手降神三種以上の拍手の許しを頂き、和学教授所の教えを固く守り、伝承して行くようにとの言葉を託して逝かれました。
  当道場では和学教授所の教えを末永く遵守する為に誰しもの入門は許しておりません。この行法は、先ずは「恐れ多い」と言う言葉から始まります。先ず謙譲の精神をもって敬虔なる気持ちで修行なされる人の入門のみを行っています。
白川伯王家神道伝承惟神道「玉鉾会」規則では
○、旧神祇官統領白川伯王家に伝へられたる皇国御国体の基礎たる神祇道、即ち惟神なる古伝神事の実践実行を目的とする。
○、我が入門の生徒は、神の道を惟神に修行せしめ、言行一致の等を得ざれば、和学教導の資格たるを得せしめざるものとす。
当道場での伯家神道行法は、わが国に伝わる本来の和学の研鑽指導を行い、丸山作楽翁、今泉定助翁、川面凡児翁、横井時常宮司、新宮幸勝宮司と伝わる皇国の精神を学び継承できる人のみの行法とさせて頂いております。

行法がすすまれた人には、古例にならって楽古舎からの「許し状」を出しています。