易とは古代中国から伝わる儒教の経典「易経」から来ています。「易学」と言う様に東洋哲学です。易占いと言うと一般的には恋愛、商売、仕事、金運など、その他身近に問題が生じた時に占いをしますが、人間の体調を陰陽五行説、気学九星で見るのを「医易」と言います。
「医易」で診る医者を「易医」と言います。中国宋代の易学によって、医術を「医易同源」の観点から生まれたものです。日本では江戸時代の朱子学の流行と共に盛んとなり、当時の二大学派漢方、蘭方に交じって医家の人達に取り入れられました。江戸時代流行した人間の体の調子、病気を見る診察法です。
このように、「医易」とは科学医療が発達していない江戸時代の医者が病気を見るのに用いた易学です。体の状態を陰陽五行説に基づいて易学で判断する占いです。易学は古代中国の医学専門書(黄帝内経)に用いられ、東洋医学として活用されています。精神医学者でもあるユングは東洋哲学である易学を学び、心理カウンセリングに易占を取り入れました。現代でも欧米のユング派の心理学者、医者は患者の心理状態を判断するのに「医易」を採用しています。
「易経」は陰陽の「気」の学問です。体内の気は心の動きに敏感に反応します。心の動揺によって気が上下したり滞ったりします。即ち、東洋哲学である易学は体内の気の循環、外気からの影響、自然の気を判断して、人生の運気を見る古代人の英知です。

楽古舎の「医易」は、一般的な筮竹で占うのではなく、「鬼卜道」(おにうらべ)と言う900年来神道家に伝来してきた我が国古伝の占法で行います。

  “これまでの自分は変えられないが=今の自分は変えられる=変えられる自分がいる”
「こころ」の病気は体に表われます。自分を変えるためには、まず自分を見つめ直す事です。病気はカルテの裏の人生を見ます。家庭、社会からの環境、人間関係などからくるストレス、イライラ、心配、不安、自分を見失いかけていると言った自己喪失、心身の悩み、こころの病の改善をどのようにして行っていったら良いかというのを見るのが「医易」です。
「内臓の働き」「体の姿勢」「こころの状態」を三者一致と言います。それらは互いに連結し合っています。その中でも「こころ」のあり方は生活、健康に大きく左右しています。病気の原因に、「こころ」の持ち方が挙げられます。その人の生活のあり方、感情、社会環境、精神様態を如実に知らせてくれているからです。
その「こころ」の状態を見るのが、江戸時代から伝わる「医易」による「こころ」の診察です。合わせて、心身の緩和の為に「呼吸法・発声法」の指導があります。心が乱れている時は息が乱れ、気持ちが落ち込み塞いでいる時は声が小さくなります。「心身一如」と言う様に「心が痛む時は身体の調整」・「体が痛む時は心の調整」というように陰陽調和が大切です。
現代のような精密検査ができるような科学医療が発達していない明治時代以前では、病気の診断、症状、病因などで判断がつかない時には、当時の医者である儒医、僧医、町医者の人達は易占によってお伺いをたてました。この易占での診断を「医易」と言います。
易を病気の治療に応用したのが、スイスの精神医学者、心理学者であるカール・グスタフ・ユングです。精神科学医であるユングは、患者の治療に当たっていると因果律では説明のつかない現象が起きる事に早くから気付いていました。その事から易学を習ったユングは、西洋の知性では説明しがたい事実を認めたのです。
現代の病因としての全ての少なくとも80%は心理的色彩を持っていると言われています。いわゆる心身症疾患です。その心身症は環境、対人、社会における気の持ち方、考え方から人体の気の流れ、気の働きによるものです。その気の流れ、働きを見るものこそ気の運用から生まれる易学であり、病状を見るのが「医易」です。「医易」で判断する為には「易学」「数理」「体と陰陽五行説」「気学九星学」を絡めての判断となります。
   
1,「あがり症・不安・極度な緊張」
  これらは意識の乱れと思われがちですが、思考回路にある考え方の癖とみて下さい。この症状を克服するのに呼吸法があります。横隔膜の運動はリラックス感を与えてくれます。結果、情緒不安定や緊張の症状が改善されます。
2、「リュウマチ」・
  起床時の発症が多く関節が硬くなって傷みが生じたり、腫れて赤味を持つ事があります。冷え性、手先が冷たい人に多く、気血の流れが悪いのが一因。心理的には過去に関節を酷使したり、運動や仕事で活動的にやり過ぎた人等。その痛み、ひずみは関節の裏に隠れていたものが攻撃的になる事により、無理やり抑えつけてしまいます。手が握りこぶしに固まる状態の人は、せき止められた攻撃生と「一度何かをぶっ叩きたい」との願望の表れです。
3、「アレルギー」・・
  一つには排泄作用が出来ていない原因もあります。自らが何かを抑えていないか、言葉を発したいが抑えつけていないか。子供アレルギーに多い症状です。大きな不安を抱えているのは人生のどの部分か。此れを見る事により解消されて行きます。
4、「耳の病気」・・
  自らで他人お言葉に耳を塞いでいないか、聞きたくない、話したくない心理はどこから来ているのか。何故人に耳を貸さないのか。誰に従いたくないのか。
5、「皮膚病」・・
  一つには排泄作用から来ています。自らが他人と境界線を引いていないか。人との付き合い方は良好か。自分を抑えつけていないか。人を寄せ付けたくない態度の裏に近づきたいという願望はないか。
 

一例ですが、このような形式で症状がどのような心理で起因しているのかを見るのが「医易」です。病気になった原因から自分自身を見つめていく事により、病気の早期治療に繋がります。又、今の自分の置かれている環境、自分自身の今の生活態度、今の心境が分かることより今の自分を顧みる好機になります。それが「医易心理カウンセリング」です。

 

○、「日 時」 月曜日から金曜日 午前9時~午後5時迄。申し込みは予約制です。それ以外の人は問い合わせ下さい。各人一人一人のカウンセリング指導を行っていますので、必ず予約は必要です。来れない人はメールでも手紙でも受け付けていますが、来場されたがより良く判断し安いです。
○、「場 所」 三重県桑名市太夫204 詳しくホームページ掲載の地図、行き方をご覧ください
○、「費 用」  5000円

○、「予約。相談方法」 ホームページのお問い合わせページからご連絡ください。

 

体がだるい、ヤル気が起こらないという中年女性が「楽古舎」に相談に来られました。病院へ行っても、敢えてどこが悪いと言う事もなさそうです。一人で来られるぐらいですから、そんなには悪くないのでしょうが、すぐに行動がとれない、横になりたがると言った様に怠け癖がついたようです。肌の張りも悪く余り健康そうにも見えません。そこで「医易」をみると「巽為風」の占卦です。まさしく彼女自身の現在の様子を表している卦です。占卦は風ですから足元が定まっていなく、左右に揺れ動いている状態です。心が定まらず一つの事が出来ないままに気移りしている。気移りしてもすぐに諦めると言った占卦になります。風には撒き散らすと言う事もあるので、うまくいかない、自分の思い通りにできない事の苛地から他人、家族に八つ当たりしているのかもしれません。「巽為風」の占卦は、陽の気を持ちながら陰の卦に属しているのは、風が吹く落ち着きのなさを表している処にもあるのかも知れません。昔、疫病は風が運ぶものと言われていた時代もありました。又、季節を教えてくれるのも風です。いわば四季の巡りの運気は風が運んでくれるのです。
この症状になった原因を探ると、風卦を店舗とみなします。風卦には店舗、長女、商人がある。そこで仕事を聞くと小さな店を構えているという事です。風には撒き散らすと言う意がある事より、小売店の商売が行き詰まったとみます。商売の引き際は難しいものです。そこで進退に迷いが生じたのでしょうか。商売の損失から気持ちに迷いが生じ、その状態が乗じた事により起きた症状である事が出てきます。
これを「医易」に置き換えます。人間は気の巡りが滞ると体は冷え、足も冷えてきます。病気の発端が意外にも冷えからのものもあります。彼女も冷え症で熟睡できません。心配、不安ですから熟睡できないのも無理ありません。風卦を五行に置き換えると四緑木星です。木は胆になります。不安事から胆に負担が掛かっている事がこれで分かります。症状を正邪の関係からみると、胆経虚証とみました。即ち、正気の不足のみで症状は激しくないとみたのです。胆経虚証の症状としては、気力がない、無理がきかない、食欲不振、全身疲労、精力減退となります。まさしく彼女の症状を表しています。そこで「食事療法」として、血液の浄化からブロッコリー、ピーマン、ホウレンソウ、小松菜、キャベツを勧めました。「呼吸療法」としては「補肝の呼吸法」に「ド」の発声法を指導。同じく胆経のツボのマッサージを指導。
「巽為風」の占卦には、病気は長引くものでもなく、心配なく治り健康になると出ています。又、家業の自営業もこれまでのやり方を反省して、人当たりも優しく親切丁寧に謙虚に接する事により、商売も良くなると出ている卦である事も告げてあげました。「巽為風」の占卦は巽の巳の干支で「巳成り」で縁起が良いとされているのですから、商売には悪い卦ではありません。「巽」は「整う」とも言います。胆経を損ねている人は興奮し安い、怒り安くなるので人との接触に注意。巽卦の風はなびくですから、従順性をもっていかに人の意見を聞くかです。
医易の健康診断と合わせて、数霊占いで支障のない健康な生活を送って下さい。

〇、「楽古舎」の心理カウンセリングに使われる易による判断法を「隠卜道」と言います。「隠卜道」は今から900年程前の鎌倉時代から伝わる占法です。

[隠卜道]
とは

鬼卜道、鬼卜部、忌卜部、鬼ら部とも書く。「隠卜道」の「隠」は「オニ」とも読むことから「鬼」の漢字が使われている。そこから「おにうらべ」「いんぼくどう」「きぼくどう」ともいう。「卜」は卜部家の事で、伊豆卜部氏より伝わる占術。
「隠卜道」は伝承によると、鎌倉に幕府を開いた源頼朝が政治を行うのに、京都より公卿を呼び鎌倉に住まわせる。その公卿達と共に同行して相談役となったのが卜部家の人達。「隠卜道」の「隠」からみて、一説には、宮廷の祭祀奉仕から放れた卜部氏の隠居との説。又は、卜部氏の中でも祭祀奉仕でなく占いのみを主にした人達との説がある。この卜部氏の人達を鬼卜部、忌卜部と言う。そこから鬼ら部と言われるようになる。都から放れた公卿、鎌倉武士達の相談にのり、運勢、社会情勢、将来の展望、病気等を占ったとされる。
源頼朝が卜部氏を召抱えたのも、頼朝と関係深い伊豆卜部氏の出身であると共に、朝廷においても神祇官次官として宮中祭祀を司り、全国卜部の長としての地位を確立していたことが挙げられる。鎌倉幕府滅亡後も京に戻ることなく、長く鎌倉の地に住みつき、代々「隠卜道」を伝える。
舎主は、先代敬周鬼卜部第三十一世箕乙より道統を引き継ぎ、衛門鬼卜部第三十二世箕丙として[隠卜道]を継承。

 

[卜部家]
について

卜部氏は、古代より亀卜、鹿卜、鶏卜による占いを行い朝廷につかえて来た氏族。中央の神祇官に任命された伊豆卜部、壱岐卜部、対馬卜部は天皇一世一代の大嘗祭の卜占を行う氏族。その他地方には常陸卜部、武蔵卜部、葛城卜部などがいる。その中でも伊豆卜部氏は朝廷の神祇官次官として宮中祭祀を司り、全国卜部の長となる。平安時代末期には、藤原山蔭創始の京都吉田神社の祀官となり、その流れは700年間絶えることなく明治時代迄続く。
「卜部氏系図」によれば、伊豆卜部氏は中臣清麻呂の曽孫平麻呂から始まると記載。伊豆卜部氏の特筆すべき事項として、鎌倉時代に卜部兼文、兼方父子が「神代文字の研究」を始める事により、その後、卜部神道では「神代文字」の存在を説くようになる。現在でも古社仏閣で見かける「神代文字」は卜部氏、吉田氏によるものと思われる。
南北朝時代が終わると、それまで一族の住居としていた京都室町にあった卜部氏の屋敷を足利氏に提供。これより、足利時代を世に室町時代という。1378年、卜部兼熙は家名を卜部氏から吉田氏に改名。朝臣となり公卿になる。応仁の乱後、吉田兼倶が吉田神道を提唱。地方神社の宗家として、神祇官長伯王家白川氏に台頭していく事となる。1590年、卜部兼見は神祇官に祀られていた八神殿を吉田神社境内に移設。神祇官代として祭祀を担当。吉田神社祀官として明治時代まで継承。